ケサ子の夏祭り
毎年、近くの大きな会社で夏になると夏祭りが開催されていました!
その日を待ち望んでいたケサ子。
お祭りごと、人が集まるのが大好きで車で15分かかる祭り会場まで魚の目だらけの足で三輪車をこぎ、シャカシャカと向かっておりました。
会場に着き、まずは一杯ひっかけ、近所の人を見つけては大声で話し2メートル先でも聞こえるゲラゲラと言う笑い声。
祭りの最後に必ず盆踊りがあり自由参加。
一番の目的が盆踊りのケサ子…
途中から参加する人も多いのですが、いつも最初から参加するケサ子。
しかもどこで覚えてきたのか、周りのみんなとは、全然違う踊り方…
踊ってる最中に色々な賞があり首からメダルの様なものを下げられる。
毎年決まってケサ子は特別賞!
賞品もあり、夏祭りの後は部屋中賞品だらけ…
あの踊りは今だに覚えられないな…
ケサ子凶暴化
夕方5時30分、晩酌〜
ケサ子は料理が大好きでしかも上手。
少し前までは11人分の食事の世話をしてきていた。
いつも上げ膳据え膳でお湯の沸かし方も知らない亀市…
こんなある日も食卓にはずらりと料理が並び晩酌開始!
時間が経つにつれ、呑んで笑いながら鼻歌を歌う亀市、自分の話を聞いてもらえず苛立ちを隠せないケサ子。
いつもな様に様子を見に行くとひとり怒り狂ってるケサ子の両手にはおかずが乗っている皿…
「ばあちゃん!」っと言った途端に次から次へと皿が飛んでくる。
なぜか狙っている亀市には全く当たらずますます激しくなるケサ子。
割れた皿を片付けて、指を切るわたし…しかし怒り狂っているケサ子にはカワイイ孫がケガしてるなんて目にも入らない!
散々散らかした後眠りにつき、朝になると何事も覚えていないケサ子でした。
ケサ子の家出騒動
さて、今日も晩酌の時間…
亀市とケサ子はいつものように二人で酒を酌み交わし、また喧嘩勃発!
ケサ子…「なんで、ずったごどやんねんだ、このえんちょ」
どうして言ったことしないんだ、この年寄りは…
亀市…「なぬっ、すてっぺした、よぐどみろ」
なに、してるでしょ、ちゃんとみろ…
怒りがヒートアップするケサ子、そしていつもの口グセ
「おら、こだ家ででんから、いいわ」
と飛び出して行く…追いかけもしない亀市。
唯一のばあちゃん子のわたしはいつも追いかけ役。
魚の目だらけの足をびこたんびこたん引いて歩いて行くのを追いかけ、やっとよその畑で追いつき
「ばあちゃん、どごにいぐの?じいちゃん酔っ払ってんだから」
するとワンワン泣くケサ子、泣きやんだかと思うと赤い火がポワ〜
ケサ子…「火の玉だ、かぐれろ」と低い姿勢にさせられた事が一度だけあった。
今思えば火の玉に出くわして隠れることに意味はあったのだろうか?
それはさておき、ケサ子を家に連れて帰るとまた亀市のズボンを下ろし、お尻を叩きまくるケサ子でした。
亀市とケサ子の晩酌
ケサ子…「あづぐなんねぇうぢにすそっぱのつぢに肥料やっとげよ」
亀市…「わがったで」
この本当はやる気のない返事をする亀市と命令をするケサ子の会話が夏の日常でした。
朝頼んだはずの肥料やり…夕方になってもやる気配はなし…
5時30分になり夕食兼晩酌の始まり、、
二人とも酒はそんなに強くはなく三口も呑めばホロ酔い、、
ホロ酔いになり、1日を振り返るケサ子…
「なぁんで、すそっぱさ肥料やれっつたのに遊んでばりいで言うごど聞がねんだ💢」
亀市…「ハッハッハッハ」
呑んで笑い上戸になる亀市、カッチーン呑んでキレ気味なケサ子、、、
ケサ子…「ケヅ出せほれっ」
ズボンをおろされ、パンッ、パンッ、と叩かれる毎日の晩酌でございます。
ケサ子のお仕置き
わたしが3歳の時のある日
弟の面倒を見でろ!
と言われ、しぶしぶ一緒に遊んで弟が眠ったのを良いことに後ろの同じ年の子の家に遊びに行きました。(昔は近所の家が近く、歩いて2分)
遊び疲れて家に帰るとケサ子が仁王立ち!
「どごさ、行ってだんだ💢」
その頃、わたしの家では猫、犬、アヒル、ニワトリ、ハトetc…をかっており、
わたしの腕を捕まえ隣の林に連れていかれ、アヒルと一緒に木に縄でキツく縛られ…反省
少し経つとさっきまで一緒に遊んでいた後ろの家の子が縛られていた縄をほどいてくれ、解放😆
また遊んでいるとケサ子に捕まり、またアヒルと一緒に木に縛られる…今度は夕方まで…
薄暗くなり、腕も痛くなり泣いているとやっと解放…
今思うと、アヒルが少しの優しさだったのかなぁ⁉︎
淋しくないように…
ケサ子の兄弟喧嘩の止め方
ある、雪がしんしんと降り積もる日、私と弟は些細な事から喧嘩になります。(大抵、兄弟喧嘩とは些細な事から発展します💦)
弟を泣かせたといつも怒られる姉の私。
ところがその日は珍しく喧嘩両成敗…
大きな声で「なぁにやってんだ、まず💢」
なにしてんだ、本当に…
と怒鳴り声…
まずは私から積もった雪の中へボーン…「ズボッ」
次は弟がボーン…「ズボッ」
こんな形で兄弟喧嘩を止められていました。
ケサ子の育児
私の家は共働きで普段面倒を見てくれていたのがケサ子でした。
1歳2ヶ月の私と2ヶ月の弟は一つのベビーベッドに寝せられ哺乳瓶をベビーベッドの柱と針金で固定され毎日ミルクを頂く毎日でした。
ケサ子なりに考えぬいた作戦なのでしょう。